Jan 12, 2018

死と再生

死とは何か?

死を遠ざけ、忌むべきものとして扱い生きる、現代の人々。
死とは何か?
終わりなのか。始まりなのか。
その両方か。
はたまた、そのどちらでもないのか。

答えを宗教にみいだす人もいれば、科学に求める人もいる。
いずれも本質を完全には説明し得ない。

現代社会に残る死に関する、あらゆる行事、慣習、風俗もまた、ある種の正しさを含んでいるが、答えそのもにはなり得ない。

死を生きる。

死を意識して生きる。
明日は知れず。
今日もまた知れず。
「今」は知ることができる唯一の縁(よすが)であり、確かな手触りで命を伝える。

死にゆく人。生まれてくる人。

無限の生命のループの中で、泳ぎ生きる。
遊び、生きる。
あらゆる迷いも、悩みも、病みも、闇も
転じれば、遊び。
実体のない無。
ならば、自分次第でどのようにでもなる。

人生に、命に、生活に絶望しようとも前を向いた瞬間に全てはひっくる帰る。
勇気というよりは、飛び込む衝動。
衝動に身を任せて遊び=命に全てをかけてみる。
あれこれ押さえ込んでいた、自分という獣の姿に慄然としても、
恐れ、おののいても凝視せよ。
生の自分の実体を。
そいつが抑圧された、己の真の姿でもある。
その鏡をもぶち壊し、新しい自分に変わり、進めばいい。
どこへ?
どこへでもいきたい所へ。
常識という枠の押し付け、普通という強制のファシズムの暴力の中で、
血みどろになり、傷つき、倒れようと、己を貫き、ただただ自分でありたい。

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