Jul 30, 2016

フェアトレード〜LIVE〜

先日地元の愛知県にイベントで戻った後、その流れはおこった。
地元豊田市に、フェアトレードを扱うお店があるらしいと聞き、行ってみることに。
以前からフェアトレードには関心があり、ご縁から関わりもあった。
しかし最近は少し離れていたので久々の再会となった。
そのお店で出会った方が来週イベントをやるとのこと。
それも地元豊田市の駅前でだ。
そこでライブペイントをやることに。

次回の打ち合わせの約束をして会場となる駅前の広場にできていたカフェに行ってみると、
そこには小中高の友人、たっちゃんがいた。
かなり久々の再会。
そして彼もまたそのイベントに自身のバンドで出演するとのこと。
うーんおもしろい流れ。シンクロー。
そして名古屋のイベント主催のけんちゃんともつながる方とも再会。
繋がり押忍!

ここでフェアトレードとの再会について再び。
パリ時代に少し服作りに関わり、ファッションの街に住むことで、それらに疲れを感じていた自分は、もっと着心地や、優しさ、普遍性を求めていた。
いくら洗練されていて、かっこよくキメても、比べ合い、けなしあいの弱肉強食の競争社会では、虚しさが募るばかりだった。
新しい服を買えども、またすぐに満足出来なくなる、まさにファッションヴィクティムだった。

オーガニックコットンが通常のコットンより環境負荷が低いことはご存知だろう。
そして最近のファストファッションの弊害を、「the true cost」という映画で知った。
バングラディッシュなどの工場では、過酷な労働環境で長時間働き、メンテナンスされていないビルで倒壊事故が起こりたくさんの方が亡くなっている。
すべては、安くたくさん作ってよりたくさんの利益を出すため。
先進国の価格競争の犠牲者は途上国での労働者だ。
そして先進国で買う消費者もある種の犠牲者だろう。
なぜなら、物に埋もれて、呼吸もできない人たちがまだまだ多いからだ。
安価だと買い求めて使わない。そしてもったいないからと捨てられない。
断捨離や、ミニマリズムがブームになるのはこういう背景があるからだろう。
戦後のアメリカ式に付き合ってきた日本人も原点に戻ってきたのだ。

さてイベント当日。
ライブペイントも気ままに始めて、懐かしい再会も多数。
さすが地元。知り合いのいない地域に引っ越しした俺たち家族には本当にありがたかった。
ステージの背景には作品を吊るして空間作り。
友人のライブの時は、ライブペイントは放置。

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子供達が集まってきてくれたので、彼らにアシスタントとして色を塗ってもらったりして共作。

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こんなアドリブが楽しい。
予定調和じゃつまらない。
既存の枠なんかぶっ壊してしまおう。
自分の関わり方ややり方でいいんだと改めて思った。

自分らしくというか、それすらもぶっ壊して、その都度変わりゆく自分もまた流れ。
あらゆる細胞は日々生まれ変わり、自分を構成する素粒子も絶えず入れ替わっている。
全ては移り行き生まれ変わる。
懐かしい再会からのフィードバックと、未来への希望。
もっと長いサイクルのもの作っていこうかな。
相変わらずのスタンスだが。
アップデートもしてますよ。

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