おじいさんとの別れ 〜新たなる旅立ち〜
大好きだった祖父との別れの時が来た。
おじいさんと呼んで慕っていた、あのおじいさんはもういなくなってしまった。
柳川生まれの、粋な男だった。かつては、白いスーツを着こなしていた。
やはり寂しくなった。
後半はガンの苦しみもあり、家族に不満やいらだちを表す事もあったが、俺が行くと、なけなしのお金を小遣いに持たせてくれた。
死の淵から帰ってきた時もそうだった。
何か光る丸い顔の人が助けてくれたようだといっていた。
そして、珍しく神妙な顔で、人間と人間は絆が大事だと教えてくれた。
最近のおじいさんには無い言葉だった。
俺は今は、お金を持ってるよといったが、給料の無い職業の俺を気づかって、俺に一万円を渡して、
「おまえには、いくらやってもいっちょん惜しくなか。」といってくれた。
おばあさんの介護を手伝い、おじいさんの家を助けにいった事を、覚えていてくれたのだろう。
その気持ちがうれしかった。改めて今心から感謝している。本当にどうもありがとう!!
そのおじいさんも、最後に入院してからは、何度も危ない局面があり、何度も乗り越えてきた。
最後は、精神に、体がついていかずに旅立つ事になったが、不屈の心で、何度も何度も頑張る姿を見せてくれた。
おじいさんは最後まで、あきらめてはいなかった。
かっこいい姿だった。
おじいさんの死後、体調を崩した。
葬儀も終わり、一段落したので、親戚のおじさんを尋ね、東京に行く事に決めたのだが、なかなか調子が上向かない。
なにかおかしい。
しばらく熱にうなされ、だるさが続いたが、ある朝、たくさんの汗とともに体調が良くなり目覚めた。
素晴らしい朝日だった。
今までの暗闇が嘘のように晴れわたったのだった。
まさに快晴。
母に指摘され、気がつくと、その日がおじいさんの初七日にあたる日だった。
やはり、おじいさんにとっても、門出の日だったのか。
寂しさと、悲しみに暮れても、何も始まらない。
気持ちを前向きに切り替えて、俺は前に進む事にした。
よし東京へ行こう!!
その日の昼、俺は、おじいさんの息子にあたる、親戚のおじさんを尋ね、東京に新幹線で向かった。
旅立ちには最高の日だった。
東京に着き、麻布で手土産を探して街を歩いた。
そして、和菓子を買うか、迷った末に、ケーキを買う事に決めた。
何となく決めた事だった。
おじさんの家に着くと、暖かく迎えられた。
手みやげのケーキを渡すと、おじさんは今日が誕生日だと言った。
一つ一つの事が繋がっていて、見えない力に導かれていると納得する出来事だった。
やっぱりな。
俺は体調と気分がすっかり良くなっていた。
さあ東京でも、新しい活動、仕事の展開をゆっくりと始めてみる事にした。
これから世界の主要都市を、独自のネットワークと、ヴィジョンで結ぶのだ。
“Peace Art”の世界展開が日本でも始まった。
日本と世界を結ぶ玄関口、発信のタワーとしての東京進出だった。
東京にも、Takuji Andoの拠点をつくり、そこから何が産まれるか、本当に楽しみである。
おじいさんが繋いでくれた絆のたすきだった。
ありがとうおじいさん!!